強制と否定

私たちがチームに所属すると、誰かに何かを教えたり、特定の技能や方法を指導する機会が必ずある。チームがうまく力を合わせるために、ビジョンを共有したりアプローチを統一することは不可欠だからだ。だが私たちはどうすれば人にうまく教えることができるのか、よくわかってはいない。だから多くの人は間違った言い方で人に教育を施そうとしてしまう。

ここではコーチングの際に私たちが犯してしまう間違った言い方についてお伝えする。あなたが人に何かを指導する時、ここに挙げるような言い方をしてはいけない。その言葉遣いとは何なのか、さっそく見ていくことにしよう。 

否定と強制の言い方を避けるべき理由

否定と強制は、特定の状況でしか効果を期待できない

結論からいうと、教える時に何があっても口に出してはいけない言い方は次の2つだ。「だからお前はダメなんだ」という否定と、「お前はこうしなきゃいけない」という強制の言葉が、教師としては最悪の物言いとなる。

なぜこの否定と強制が悪いかは後に述べるが、あなたはひょっとしたら胸をなでおろしているかもしれない。よかった、こんな言葉を使ったことはないぞ。だがこんな言葉を使ってはいないだろうか。

「君のここが欠点だ」(否定)
「あのプレイはよくない」(否定)
「間違ってしまったね」(否定)
「次はこのやり方をしよう」(強制)
「こうすればいいのに何故やらない」(強制)
「ああいった場合はこうしなくてはダメだ」(強制)

自分もこういった物言いをしたことがあると感じる人は多いのではないだろうか。もちろん、あなたには相手を否定したり、自分のやり方を強制するつもりはない。だがこういった言葉には確かに否定と強制の色が混じっているものなのだ。実際にこれらの言葉を使ってうまくいくケースはほとんどない。

逆にこういった否定と強制の言葉を駆使して物事が解決するのはどんなシチュエーションだろうか。それは生徒の側が
「自分の欠点や間違いを自力で発見できない、もしくは間違いを教えてくれる人を探している状態」
「問題を解決するにあたって自力で解決策を創造しようとしていない、もしくは解決策を与えてくれる誰かを待っている状態」
であるときに限られる。

つまり否定と強制とは、生徒に「自主性がない」、「自力で間違いに気づけない」という兆候があるときに役に立つ言葉たちなのだ。なるほど、「自力で間違いに気づけない」ときには確かにここがダメだと言ってあげなければならないこともある。ときにはそれがチームや個人にとって致命的な危険を招くことがあるからだ。この意味でなら否定や強制の言葉にも利点はあるのかもしれない。

いざ教える段階に入ったら、これらのことを意識して指導していこう。「7.まずはダメなことははじめに厳しく叩きこむ」こと。子供には赤信号は渡ってはいけないと初めに教えないといけないし、サッカーをやるのなら手を使ってはいけないことを徹底して教えなければ話にならない。どんなに口うるさいと思われようとも、ダメなことをダメだとわからせないと、生徒が自分で考えたときに致命的な間違いを犯しかねない。




だが「自主性がない」ことに起因する問題を否定や強制の言葉を使って解決するコーチングを擁護することはできない。否定で問題点を指摘し、強制でやり方を植えつけて、問題そのものが解決したように見えても、「自主性がない」こと自体はもっと深刻な問題を別の部分で引き起こしているはずだからだ。

何人かの読者は反論されるかもしれない。「とはいっても、生徒の側が自主性を持たないから仕方ないじゃないか。私だって生徒が自主的にどんどん成長していくのなら、こんな物言いはしなくて済むんだ。結局はチームのためにも生徒のためにも、否定と強制の言葉を使ってでも問題は解決した方がいいんだ」と。

生死を賭けた軍隊での訓練のように、ごくごく緊急的に「否定」と「強制」の言葉を使ったほうがよいケースがあることはたしかだ。だが生徒が自主性を持てない最大の原因は、コーチにあるとここで断言しなければならない。なぜなら、生徒に自主性がないからこんな言い方をしなければならないのではなく、こんな言い方をしているから生徒が自主性を持てないからだ。

あなたが誰かに何かを教える時、きっとあなたはそのチームで先輩だったり上司だったり、生徒より少しは先んじる地位にいることだろう。だから忘れているかもしれないし、想像力が働かなくなっているのかもしれない。否定と強制の言葉を駆使する人から教えられることが、どんな影響を自分に及ぼすかを。以下にあげるそれこそが、こういった物言いをしてはいけない理由だ。 

否定と強制の言葉を使ってはいけない理由

1.モチベーションの低下

自分の欠点を教えて欲しいという生徒は立派だ。自分ができていないことを知ることが、自力で成長していくために必要な一歩だからだ。だがそんな立派な生徒ばかりではない。せっかくやる気を出していても、自分自身や行動の欠点を指摘されるとやる気を失ってしまう人は多い。

やり方を強制されることもモチベーションの低下を招く。自分で自由にできる、工夫してやれるということは、意欲を持って行動するにあたって非常に重要なことなのだ。義務は苦く、責任は甘いという言葉もあるように、自分でする勉強は楽しいが、他人に言われてやる勉強はちっとも楽しくない。このようにモチベーションを削られてしまっては、生徒が自主的に積極的に活動してくれるなど不可能だ。

2.成果ではなく評価を気にするようになる

否定言葉には常に自分のことを評価するニュアンスが含まれる。生徒にとって「ここがダメだ」という言葉は「あなたがダメだ」という意味とほとんど同じだ。このような言葉を使われすぎると、生徒は教師の評価を非常に気にするようになる。誰だって「あなたはダメだ」と言われたくないものだから、教師の顔色を伺うようになってしまうのだ。誰かの顔色を伺って行動する人からは、自由な創造性が抜け落ちていく。

モチベーションの低下も評価を気にする要因になる。行動意欲が持てない場合、いかに行動するかよりも、いかに評価を得るかということに人は注目しがちになるからだ。誰かの評価に気をとられている人が、自主性と創造性を持って行動することは難しい。そこに強制の言葉がかけられれば、まさに「これさえやればいいんだろ」という機械のような人間の出来上がりだ。

3.自己イメージが低下し自信も行動のクオリティも下がる

否定の言葉をかけられると、人は自己イメージを低下させてしまう。「自分はなんてダメなやつなんだ」「自分には致命的な欠陥がある」という風に思いこんでしまうのだ。そして人には、自分がイメージしたとおりに行動してしまうという性質がある。自分について悪いイメージを持ってしまえば、行動の質自体も下がってしまい、成果を手にすることはできなくなる。

歌を歌う時、人は次に口から出る歌詞とリズムとテンポとキーをイメージしながら歌っている。試しに別の歌を頭に浮かべながら、一番好きな歌を歌ってみようとするといい。イメージが邪魔して上手く歌えないはずだ。このようにイメージは、次に自分が何をすべきかという把握と、実際に行動をする時のパフォーマンスを致命的に左右している。

参考記事:成功と自信に抜群の効果あり! イメージトレーニングの方法を解説!
よくない自己イメージを抱いた状態で、成果をロクに手にできなくなれば、徐々に生徒は自信をなくしていくだろう。それがさらに自己イメージを悪くしてしまう、悪循環の始まりになる。そうすれば生徒のモチベーションはどんどん下がっていき、また評価を気にしていってしまうだろう。

参考記事:自信がない人が無敵の自信を持つ方法! 不安の原因と自信の正体

4.自主性や創造性が抑圧され、成長が鈍る

このように否定や強制の言葉を使うことで、生徒の自主性や創造性はどんどん奪われていく。そうすれば、生徒は自分で自分を成長させる力を大きく失ってしまうだろう。それは誰かの力を借りなければ問題を解決することができない人間に育つことを意味する。まさに教える側が苛立ちを覚えるような、自主性のない人間になってしまうのだ。

下の引用記事でも示しているが、コーチングの基本は自分で自分を成長させられる人間を育てることだ。

教えることと学ぶことの間には大きな隔たりがある。生徒をマニュアルを実行するだけの存在にしてしまったら、それ以降は自分で成長しようとすることはなく、ただ教師の教えという「データ入力」を待つだけの存在になってしまう。




「わからないことを人にすぐに聞くことで、あなたの成長力は途方もなく減少し、やがて消滅する」


このように、否定と強制の言葉を使うことは、生徒から成長力を奪うことに繋がっていくのだ。 

否定の代わりに肯定、強制の代わりに委任する

多くの人は生徒に対し、なぜうまく成果を出せないのか、ダメなところを教えてあげて、どうすれば成果が出るのかを示してあげることが「コーチング」であり「教え」だと思っている。だがこれまででわかるように、それはかえって生徒を潰してしまうやり方なのだ。

では生徒を生かすような教え方とはどういったものなのか。否定の反対に肯定、強制の変わりに委任の言葉がけをすればいい。生徒がそう思えるような言葉をかけるのだ。

「ここがダメだ」の代わりに「ここがいい。こうすればもっとよくなる」と言おう。「間違いだ」の代わりに「惜しい! ナイスだ」と言おう。もちろん、「ダメだ、それは間違いだ」と言わなければいけないときはある。だがその言葉は最終兵器だ。「否定」をする前に、教師の側は良く考えなくてはならない。

何故ならミスしてしまったとき、一番「ダメだ」と思うのは本人だ。また、本人が「次はこうしよう。修正しよう」と考えているのなら、「ダメだ」なんて言葉をかけてモチベーションや自主性を損なう真似をしてはいけないからだ。うまくいかなかったという事実について、生徒がどんな認知をしているかを教師はよくよく見極めなければならない。

「次はこうしろ」と言うのではなく、「どうすればいいだろうか?」と問いかけてみよう。「こうすればいいんだ」と答えを示すのではなく、「こういうやり方もある」と選択肢を示そう。最終的な行動の創造権は生徒にあることを忘れてはならない。生徒が自分の判断で行動する自由を、教師は守らなくてはいけない。

あなたは思う。「だが生徒のやり方では全然ダメなんだ。強制的にでもこちらの狙い通り行動させないと、全体に影響が出てしまうんだ」と。だが2つのことを考えてみよう。まず、花に大量の水をかけても、花の大きさは水の量に比例するわけではないということだ。教師が言えば言うほど生徒が成長すると考えるのは誤りなのだ。教師の仕事は適切なタイミングで水をやることであり、自分の考えを生徒にインストールすることではない。だから行動の強制は避けよう。

そうすればもう1つの大事なこと、自主性が成長力を加速するということがわかってくる。自主性を身につけた生徒の伸びしろは、教師に測ることができないほどに大きいものだ。楽しむ初心者がとんでもない進歩を見せるように、自主性のある生徒はいつも教師を驚かす。教師の計画通りに育つ生徒などいない。結局は生徒が自分で伸びようとするかどうかが大切であり、教師にはその補助しかできないのだ。 

教師は自主性を育むのが仕事

いかがだっただろうか。教師の仕事とは、生徒の自主性、創造性をいかに破壊しないかがもっとも大切になる。その構えがあって初めて具体的な技能の指導が効果を持ってくるものなのだ。もしかしたら「私は否定と強制の言葉がけを使ってもうまくいっているよ」と言う人もいるかもしれない。初めから強い意欲を持っている生徒なら、そういったこともありえる。だが初めに言ったとおり、もっと大きな問題がどこかに表れているだろう。

指導をする機会は誰にでもある。どれだけ熱心に教えても、相手が成長してくれない、上達の気配が見えないと思うのなら、これらの言葉遣いをしてしまっていないか省みて欲しい。自分が思っているよりずっと多く、こういう言い方をしてしまっているものだ。あなたがうまく教えることができ、仲間を助けてあげられますように。